1994年、創業者の中澤征史氏がたった3坪のスペースからスタートした大阪の小さな古着屋が、いまでは全国に約170店舗を構えるほどの大きな会社に。
ファッション業界の流れに沿うよう変化し、そして成長を続けてきたその背景に宿る思いとはなにか。
「いま“なに”が欲しいのかを追求し続けてきた。」
2023年5月に誕生したのが【WE LABO[ヒト・コト・モノ・バ]研究所】。2020年の秋くらいから、若者の趣味や嗜好に特化させたコミュニティSNSの運営をスタートしていたものをより深掘りさせ、情報の商品化、コンテンツ化を目指した仕組みづくりをするためのシステムをスタートさせました。よく話をしていますが、例えばインスタグラムのフォロワー。51万~55万の間を行き来しているなかで、そこをどう増やそうかと考えた時に、この方向性は増えるだろう、こっちだと減るだろうなと探っていっても、結局10個のニーズのなかから3個にフォーカスしていけば、残りの7個が好きな人は離れていっちゃうんですよね。それならばアカウントを増やせばいいなと。各アカウントのフォロワー数を合わせれば100万近くになりますし、例えば“女子高生”、“推し活”、“男性”に特化したことで、それぞれで5万くらいのフォロワー数が集まれば情報の濃度は高い。いま本当に求められているものや、興味を持っているものがなにかという情報を整理し、そこに必要なものを提供していくための仕組みをつくったイメージですね。
働き出した当時から、積極的にお客さんと話をしていましたが、そのやっていることが実はいまも変わっていないんですよね。規模が大きくなったイメージです。もちろん現場のスタッフから話を聞いたりもしていますが、それ以上にお客さんのリアルな声を集めていくことも大事です。2020年に『YOUR FAN』(あなたのファン)という、コーポレートステートメントを策定したこともありますが、主役はやっぱりお客様。「自分たち軸」ではなく「界隈の人たち軸」から、求められているもの、提供すべき商品やサービスを生み出していくことが大切だと考えているんです。元々はアメ村が好き、古着が好きというところからスタートしましたが、オリジナルウェアを手掛けだした時と同じ考えなんですよね。“なに”を求められているのか、いま“なに”が欲しいのか。2000年代に入って、古着が落ち込んでいくシーンのなかで本当にほしいものってなにかを考え、それを提供していくことが[WEGO]の本質。古着屋さんではありましたが、当時の創業者も含め、集まったスタッフはビジネスが好きなんですよね。そうやって変わっていく環境にあわせ、こちらも柔軟に変化してほしいものを届けていく。そのスタイルを追求していくことが面白かったんですよ。
「人としての本質は、変えたくないですね」
古着からオリジナル、さまざまなコラボレーション。そしてまた古着に……と、いろいろ変化をしているように見えると思うのですが、実は根本の部分は変わっていなくて。規模が大きくなっていますが、会社としては、実はまっとうなことをしているだけで。「いろいろ変わってチャラチャラしてるな」なんて言われたりもしましたが、流れに合わせて、欲しい“なに”かを追求してきただけなんですよね。とはいえ古着がまたこんなにくるとはと驚いてはいますが。若い子がパンタロンやピチピチのシャツを着るなんて思っても見なかったですね。時代は回ると言いますが、おじさん的にはテンションはあがります。きっと飽きるんでしょうね、上の世代のものを見続けていると。だから大きいサイズが流行れば次は小さくなるしと、逆へ逆へと流れていくような感じを、これまでそうした流れをずっと見てきている気はします。
ユーズドクロージングストアから、ミックスユーズドクロージングへとキャッチコピーも変化し、いまはライフスタイルアンドカルチャーストアに。ファッションはもうそこに包括されているイメージです。古着自体、そこにカルチャーがむっちゃ詰まっていますよね。そのカルチャーをわかっていないと編集なんてできもしないので、ルーツとして、そういう匂い、香りを嗅ぎ分けれる子をスタッフや社員で集めるためにも、アメ村のこうしたお店が必要で。とはいえファッションエントランスという立場は変わらない。できるだけ、お店も入りやすく、まぁ人によっては若すぎて入りにくいかもしれないですけど、明るく楽しそうに、そうした店であり続けることも意識していますね。
僕自身は古着好きがスタートではありますが、これっていまも変わっていないですね。デニムやミリタリー、アメカジベースはそのままで、着方やサイズ感だけが変化している感じ。洋服を買うお店も、友達がやっているところや後輩が出店したところ、そして自分のお店と変わってない。バンドTは好きなんですけど、コレクターではないので気づいたらないぞと。誰かにあげたりしているのか、少しもったいないなとは思うんですけど、そんな感じです。そもそも創業者ではなくて、サラリーマンとして代表になってしまった。まさか自分が代表になるとは思ってもいませんでしたが。いまでもスーツは着ないようにしていますし、スケジュール管理も自分でしています。管理されるのが得意ではなくて。オフィスはありますけど、そこにはスタッフもいますし、行くと邪魔になるというか、僕は現場を転々としているほうがリアルですよね。東京と大阪を行き来していますが、そこから地方へ移動したり、会議もそれぞれのお店からリモートで出席。夜はいち早くお酒を飲みに行くみたいなね。外的環境は変わっていきますが、本質といいますか、僕自身はなにも変わりたくないなと。代表であるからとかで自分が変わることもいやですし、肩書でのお付き合い自体がなんだかなぁ。そうした人間としての部分は、やっぱり同じでありたいですね。