大阪を中心に、全国24店舗展開する人気古着屋JAM。圧倒的な品揃え、入りやすい広い店内、スタッフさん達のJAM愛などJAMをとりまく魅力のはじまりには、福嶋さんが古着と歩んできたドラマがあった。継続こそ、運を引き寄せる。
―古着を好きになったキッカケを教えてください。
90年代中頃の古着ブームで古着を知って、アメ村の古着屋で古着を買うようになりました。古着屋のスタッフさん達の着こなしやスタイルがすごくカッコ良くて、憧れていました。
―その憧れが古着屋オープンへと繋がったのでしょうか?
そうですね。東京で2〜3年くらいサラリーマンをやっていたんですが、古着屋になりたいと思って大阪に戻ってきたんです。お金を貯めて、26歳くらいの頃にオーストラリアにワーキングホリデーに行って、段ボール50〜60箱くらいの古着を買って帰国したあと、アメ村に3坪くらいの古着屋『クローズネスト』をオープンしました。そのお店のお客さんだったのが、JAMのもう一人の社長・上古殿雄介なんです。
―JAMのはじまりですね!
最初、上古殿とはネットショップを一緒に始めたんですが、ヤフオク・楽天を利用していたので、屋号はありませんでした。流行を重視した古着屋をオープンしたこともあったけど、どれも上手くいかなくて…(笑)。好調だったネットショップの事業拡大を機に、上古殿と僕の名前(政憲)の頭文字を繋げた、「JAM(=JYOKODEN AND MASANORI)」を4 階建てのビルに設立しました。
―なぜネットショップの方が好調だったのでしょうか?
ネットでは、「Dr.Martens」の仕入れ・販売に特化した一点突破の戦略をとっていました。“この分野なら日本一!” というジャンルを「Dr.Martens」の取り扱いで確立して、服を取り扱うようになり、ネットから実店舗へと広げていきました。
―特化している分、売れる時・売れない時の差が激しそうです。
楽天で販売した時、「Dr.Martens」を100足くらいの点数で出品していた時は、実は全然売れなかったんです。その時、コンサルタントの方に、“楽天は規模の世界だから、どれだけの商品点数が出品されているかが重要” と教えていだいて、一気に1000足出品したんです。そうしたら、JAMの印象が“「Dr.Martens」が1 0 00足あるお店” に変わって、あっという間に売れた。その時に、“規模” のという存在は買い手側にとって大きい印象を与えるんだなと感じました。
―“規模”の重要さを知った経験が、現在の店舗数や豊富な揃えの理由なのでしょうか?
JAM のコンセプトは、【今、欲しい商品はモリモリ】【状態の良い商品】【関係性を深める接客】なんです。そのためには店舗の大きさにもこだわっています。でも、店舗数を拡大する理由はについては、JAMのスタッフ達の存在が大きい。JAMの大きな目標は、「日本一ファンの多い古着屋になる」。そのファンって誰?って言ったら、お客さんはもちろん、一番のファンはJAMのスタッフであってほしい。だから彼らに元気に成長してもらうために、店舗数を増やすことで、「店長」・「副店長」のような彼らがスタッフとして目指したくなるポジションをいっぱい用意してあげたいんです。公式SNSでスタッフのみんなが、JAMのアイテムを楽しそうに紹介してくれる姿を見ると感謝の気持ちでいっぱいになる。だから僕も頑張ろうって思うんですよね。
―ファンを増やすことが目的ということですね。
正直、「100店舗展開したから」、「何百億売り上げたから」成功とは思っていません。まだ引退は考えていないけど、無事自分が引退できたら成功かなと思っています。誰しも一度きりの短い人生です。そう思ったら、誰かに遠慮してやめておこうかなとか、そんなこと思わなくて良いと思っています。だからスタッフのみんなが挑戦したいことも心から、“いいじゃん!やろう!” と言える。結局、何事もやるか、やらないか、だけの話なんですよね。
撮影/鈴木 啓司 取材・文/山田 有真
現在JAM には約300 人のスタッフが在籍。“若い人が気軽に相談できる環境を大切にしたい” という言葉通り、福嶋さんには気さくな雰囲気が漂う。