―共同経営のキッカケは?
仁木:「元々、僕と岩本が前の職場が同じだったんです。大型古着店で働いていて、岩本が入社した当時の店舗の店長が僕だったんです」
岩本:「そのあと、仁木さんが他の店舗に異動したから、一緒に仕事をしたのは1年少しくらいですね。その名残で、今も敬語が外れないです(笑)もう十一年くらいの付き合いですね」
仁木:「独立することを決めて、引き継ぎを始めた頃、岩本から「僕も将来的には独立を考えている」という話を聞いて。「じゃあ一緒にやろうか!」と決めたのがキッカケです」
―1人ではなく、なぜ2人で独立することを選んだのですか?
岩本:「完全にタイミングですね。独立することをお互いに、良いタイミングで知れたことが理由だと思います」
仁木:「僕もそう思います。あと、彼と仕事に対する向き合い方の波長が合っていたことです。どれだけ仲が良くても、共同経営はいざこざが起きると聞いていたので、そういう面では、彼は信用できる相手だと思いました」
―堀江にお店を構えた理由を教えてください。
仁木:「実はこれも運なんですよね(笑)秋冬物が立ち上がる9月末にオープンすることは決めていたんですが、8月になっても良い物件が見つからなくて…。そろそろヤバいなと思っていた頃に、この場所が空いたという連絡があって、その日にすぐ決めました。雰囲気・サイズ感・ロケーションすべてが好みだったので、逆にこわかったです(笑)」
―物件が決まるまで、買い付けた商品はどのように保管していたのですか?
仁木:「僕と岩本の家の間くらいの場所に、2階建ての安い物件を借りて、そこに全部保管していました」
岩本:「2000〜3000点くらい保管していたんですが、オープン後にすぐそのストックが全部無くなっちゃって…。前の職場が大型店だったので「薄利多売」の商法だったんです。その商法での数字をベースに、自分たちのお店の売れる数を想定していたので、ちょっと読みが甘かったですね(笑)」
―経営において役割分担はありますか?
仁木:「とくにありません。何か判断するときは、二人で決めています。意見がかみ合わない時は納得するまで話し合ったり、リスクヘッジをした上で、お互いの意見を順に試したりしています」
岩本:「あと、月に1回ミーティングを行っています。2〜3時間は話しますね」
仁木:「「こんなアイテムが売れた」という具体的な話より、反応が出てきたジャンルや人の流れとか漠然とした情報を共有することが多いです。2店舗展開が始まってから、現場で一緒に仕事をする時間が少なくなったので、色々話しますね」
―アメ村店オープン前も、話し合いは多かったのでしょうか?
仁木:「すごく話し合いました。最初は2号店のある場所に移転も考えていました。でも、堀江にオープンしてまだ2年しか経っていなかったし、思い出も強い。目標数字を起こしたりして、話し合いを重ねて、2店舗展開を選びました」
岩本:「お互いに決定を出しましたね」
―共同経営を機に発見した、新たな一面などはありますか?
岩本:「僕、正直全くないです」
仁木:「気にしてないだけでしょ?(笑)」
岩本:「いやいや!本当です(笑)お互い、仕事に対する考え方は厳しいし、ビジネスパートナーとして波長が合っていると僕も思います。2人で共同経営をすると決めた時点で、新たな一面が見えても、それは仕事に対して差し支えは無いだろうなと思っていたので。もしその一面が嫌になるくらいなら、僕は一人で独立することを選んでいたと思います」
仁木:「共同経営のトラブルになりがちな、お金の話やお店の方向性を話し合った時間がものすごく長かったですね。その段階でお互いの考え方が違っていたら、共同経営はやめていたと思います」
―共同経営のキッカケや物件との出会いを知ると、店名の「en.(縁)」という言葉がより印象的に感じます。
仁木:「人や物、とくに古着は一点物なので、「縁」は大切にしています。店名を決めるときも、「en.」が最初に決まったんです」
―今後のビジョンを教えてください。
仁木:「2店舗目をオープンしましたが、『en.DAWS』を大きくすることはあまり考えていません。こういう雰囲気のあるお店を20〜30年、老舗と呼ばれるくらい長く続けたいと思います」
岩本:「僕も同じですね。オープン前からずっとそういうことを話していたし、その話のもと、スタートしているので。
仁木:ヴィンテージに興味があったり、趣味の合うお客さんたちが来て喋ったり、そういう人達が集まってくる場所になれたら嬉しいです」
撮影/鈴木啓司
取材・文/山田有真