ー古着業界に入ろうと思ったキッカケを教えてください。
僕の実家は元々酒屋で、高校の時は家業を継ぐつもりだったけど、大学中に廃業しちゃって継げなくなって(笑)それで大学中にバイトしていたところが、イタリアンのレストランだったからカフェを開こうと目指してたけど、来店するお客さんが古着好きの人が多くて気が付いたら古着に興味が湧いて、古着に関わりたいなと思うようになりました。
ー中々面白いキッカケですね。そこから古着屋でのアルバイトが始まったのでしょうか?
そうですね、今みたいにリクルートとか無い時代なので、古着屋の入り口のドアに貼られたチラシを見て「ここだ!」と思った時には階段を駆け上がってましたね(笑)神戸の元町にある古着屋です。大学卒業してからはここで就職をしました。就職と言っても当時は個人店の古着屋に社員制度というものが無かったですけどね。
ースタッフとして働いていく中で、なぜ独立を決意したのですか?
独立することが目指す場所だったんです。その当時はほとんどの人がそう思っていたように思います。当時の僕は、誰よりも早く独立してやるんだ!いいお店を作るんだ!とか、対抗心剥き出しだったんですよ(笑)
ー熱いですね。独立までの道のりについて教えてください。
独立には資金が必要です。掛け持ちでアルバイトをしながら、お金が貯まり次第アメリカに行っては買い付けを重ね、万博公園のフリーマーケットやヤフオクで販売する生活を送っていました。
ー店舗を持つ前から販売を行っていたんですね。
はい、実家の酒蔵の2階を倉庫にして、買い付けた洋服は全てそこで管理していました。スペースがあったことはとても助かりました。
ーオンラインやフリマを経て店舗を持つに至りますが、何故神戸ではなく中崎町を選んだのですか?
僕が最初に働いていたお店では、スタッフ間だけの暗黙のルールがあって。それは「同じ土地でお店を出してはいけない」というものなんです。それを先輩に言われたのでまず神戸は除外されましたね。神戸以外で考えている時、仲の良い先輩が中崎町にいたこともあり、よく中崎町に訪れていました。今でこそ中崎町は人気のある街ですが、当時の中崎町は今みたいな活気があるわけではなく、服屋さんも路地裏にひっそりと佇む感じだったんです。その雰囲気が自分は好きで、ここにしようと決めました。あと、僕はアメ村のようなガヤガヤした感じが苦手で(笑)ミナミは最初から候補に無かったんです。
ーそこで中崎町の中でも有名なサクラビルに店舗を構えたんですね。
中崎町で店を構えると決めてからの行動は早かったですね、動かないと始まらないと感じていたので。不動産屋に駆け込んでまず紹介されたのがサクラビルでした。今では中崎町といえばサクラビル!という感じですが、当時サクラビル内で有力な古着屋は、3~4店舗しかなかったです。他は雑貨系のお店がほとんどでしたよ。
ー中崎町にオープンして5年、なぜ移転を決断したのですか?
僕がオープンした当時は好きな場所だったけど、再開発などで街自体がどんどん変わり始めていきました。来店するお客さんの年齢層もこの頃から変わってしまい、来店するお客さんに合わせた商材に切り替えようかと思ったこともありましたけど、やはり自分の好きを変えたくはなかったんです。
ーでも己を貫く考え方は良いと思います!
貫いた結果お店が潰れたら意味はないですけどね(笑)
ーそうですね(笑)では中崎町から移転先としてなぜ堀江を選んだのですか?
ちょうど移転を考えていた時に知り合いの古着屋オーナーから「堀江はどう?」と言われたり、僕自身も昔から堀江は格好いい街として憧れがあったんです。まず行動を!と思い不動産屋に行ってみて最初に紹介してくれた場所がここだったんです。服屋さんが集まっているエリアからは少し離れていて雰囲気も落ち着いていてすごく居心地が良く感じたんです。直感でここだ!と決めましたね。堀江でお店を構えるって、ステータスでもあると思っています。
ー堀江に移転して良かったことは?
中崎にいる頃と比べてこの街には先輩や後輩など知り合いのお店も多いので、お店同士で紹介し合ったりできるのはかなり大きいです。同じエリアの近況を共有できるのもプラスですね。
ーしかし、そんな矢先にコロナ禍になってしまいましたね。
はい、結果僕にとってはプラスだったと思っています。元々「古着屋は古着しか売ってはいけない」という固定概念に囚われていて、古着以外やらないつもりでいました。でもコロナ禍に入って、アメリカに買い付けに行けなかったので、古着を仕入れることが出来なかったんです。店を潰してはいけないという意志で、新しい販売として新品の展示会にも行きました。結果的に色んなブランドさんと知り合えましたらし新たな取引が生まれました。そして今までとは違う客層の方も足を運んでくれるようになっています。
ー10年続けてきたことを振り返ってみて、どうですか?
続けていられているのは素直に嬉しいですね。正直商品が売れた!儲かった!と感じたことは一度も無いですけどね。税理士さんと一緒に頭を抱える毎日です(笑)
ー難しいのですね。この先はどうありたいですか?
古着屋を始めた時、実は40歳で辞めようと漠然と考えていました。40歳を過ぎると、若い人たちとピントが合わなくなるだろうなと。そうするとトレンドに追いつけなくなる。その境目が40歳だと思っていたんです。僕は自分自身で買い付けを行い販売する考え方なので、40歳で潔く辞めようかと思っていたんです。
ーあと3年で辞めてしまうのですか?
いえ、今は変わりましたよ!この考え方をしてた時はオープン当時の27歳なので(笑)40歳過ぎたら絶対年齢で負けると思ってましたけど、今考えたら40歳なんて全然若いですし、バリバリ現役で働いている先輩たちもいますからね。あの時の考え方は無くなりました。コロナ禍も重なり家族会議もしましたし、今の自分はこの先も続けていけるよう、自分のやり方を貫いていこうと前向きですよ。
ー安心しました。『KEY』の未来は明るいですね?
服は好きですし、服屋を続けていきたい想いは強いです。これから先も色々と問題はあると思っていますが、その度に自分の気持ちを第一に貫いていきたいですね。もちろん自分だけでなく、家族や先輩など知り合いも頼りながら、続けていきたいなと思います。